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何で音楽をしているのか、音楽をするって一体何なのか、そもそも生きるって何だ?①

 

自分にとって音楽をする事とは一体なんだろうとか、なんで音楽をするんだろうって最近思うようになって、それを考えた時に、そもそも生きるってなんだろうって問題に直面する。

 

今までに何回か生きるって事は何だろうって事考えて、いつも微妙に違う答えが自分の中で出てくるんだけど、今回もまた違う答えが出てきた。

 

生きるって事はそもそも死ぬ事でもあって、生きる事と死ぬ事は同価値って考えもあるけど、そうだとも思うし、違うとも思う。自分が選択して産まれて来るわけではないし、お腹にいる時も、産まれてきた後もお母さんという存在がいるから、生きていけるわけで、一人では生きていくことは出来ない。

 

神さまがどういう存在かは人それぞれだと思うからよく分からないけど、一番身近なもので考えたら自分たちは、地球に生かされてるのかもしれない。地球は宇宙に生かされているのかもしれない。じゃあ宇宙は一体なんなの?って話になるけど、考えても人間の想像力では到底想像できない存在な気がするからなーんにも分からない。

 

そんな壮大でわからないものの中にほんのちっちゃな存在として産まれてきたのが自分だとしたら、生かされているって表現の方がしっくり来る感じがする。

 

でもそこになんで生きているんだろうって理由を考えるって事は、人には感情が存在するからなのかなと思う。

 

人には好き嫌いがあるけど、それはどこから来るの?例えば誰かの事が好きで、なんでその子の事が好きなのって聞かれた時に、顔が好きだとか、性格が好きだとか、いろいろあると思うけど、なんでその顔が好きなの?って言われたら、そこには理由はあるのかな?

 

何かを好きって感情に理由は無くて、ただ好きって事なんじゃないのかなと。人はみんな違うし、好みも違うけど、それには理由は無くて、ただただ好きなんだと。

 

人にはいろんな感情があって、例えばつらいっていうマイナスな感情があったとして、なんでつらいって思うのか。つらいっていろんな状況で使える感情だけど、つらいって思うのは嬉しいかったら楽しかったりプラスの感情を知ってるから、それと無意識に比べて、対比してつらいって感情を作ってるんじゃないかって。

 

例えば赤ちゃんの場合だと、空腹が満たされてハッピー、言葉も知らないから嬉しいっていうよりからわーいみたいな言葉のないプラスの感情があって、お腹空いてたらそれを満たしたいから泣いてその感情を表しているのだけれど、生きていろんなことを知っていく事で、いろんな感情が勝手に組み合わさって、マイナスの感情が出来上がってるのかなと。

 

なにが言いたいかというと、もしかしたらどんな感情にももとを辿ればプラスの感情しかないんじゃないかなって。純粋に感情だけで感られる事ができる感情ってプラスの感情だけなのかもしれない。マイナスの感情はプラスの感情を知ってるからゆえにそれと対比してマイナスの感情を作ってるんじゃないかと。

 

例えば「嬉しい」「好き」「楽しい」これらの感情は純粋に理由なんかなくてただそう思うっていう、純粋に感じられる感情達なんじゃないかなって思うけど、

例えば「気まずい」「緊張する」などの感情っていろんな感情が複雑に絡み合って登場する感情だと思う。純粋に気まずいだけを感じてるっていう状況はまずありえないと思う。本当は仲良くしたいのに、上手く喋れるか不安で、その会話が途切れた時の空気感が嫌いとか、そういうのがあったとしても、それはそもそもその人と仲良くしたいってプラスな感情と、仲がいい人との空気感を知ってるから感じる事かもしれない。

 

前に人と比べると事は良くないって書いたけど、そもそも自分の感情達が、自分の中でいろんなものと比べたり対比したりして様々な感情を作り出してるんだなって考えたら、比べない事なんて無理だなって思った。ていうか比べる事がダメって考え方もどうなのかなと。

 

ここまでいろいろ書いてきたけど、決めつける事は良くないとも思ってるから、これは今の自分の思ってる意見で、また生きてれば変わるかもしれないぐらいで考える事が大事なんだなとも思います。

 

今日は収集がつかなくなってきたので続きはまた次回書きたいと思います。